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東京高等裁判所 昭和63年(う)525号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を無期懲役に処する。

押収してある柳刃包丁一丁(当庁昭和六三年押第一六二号の1)を没収する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人髙橋美成が提出した控訴趣意書及び弁護人黒田純吉、同髙橋美成が連名で提出した控訴趣意補充書に記載されているとおりであり、これに対する答弁は、検察官荻野壽夫が提出した答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意中、殺意につき事実誤認をいう主張について

所論は、要するに、被告人が柳刃包丁を持って被害者ら方に行ったのは、A子にもう一度自分との仲について翻意させ、それができなければ同女を殺害して自殺するためであり、被告人はB子、C、D、E子の四名(以下、この四名を「その余の四名」という。)のことなど全く念頭になく、その余の四名に対する殺意はなかったのに、被告人が、A子だけではなく、その余の四名に対しても殺意を有していたと認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな重大な事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係各証拠によれば、被告人が、原判示のとおり、A子のみならず、その余の四名に対しても、いずれも、殺意をもって柳刃包丁で突き刺し、その結果、A子とB子の両名を死亡させ、その他の三名に対しては原判示の各傷害を負わせて殺害の目的を遂げなかったことを優に認めることができ、原判決が事実認定の補足説明の項で説示するところも正当として是認でき、そのことは当審における事実取調の結果によっても動かないところであって、原判決の認定には所論のような事実の誤認はない。

すなわち、前記各証拠によれば、被告人は、深夜、A子の実家であるその実弟のC方(以下、実家という。)に押し入った上、購入したばかりの刃体の長さ約一八・三センチメートルの鋭利な柳刃包丁(当庁昭和六三年押第一六二号の1)を用い、先ず、一階の居間で就寝していて物音に気付き上半身を起こしたA子の胸部、腹部付近を数回突き刺し、その傍で寝ていたその長男のDが目覚めて立ち上がると、同人が自分を制止する行動をとるものと考えて同人の腹部を一回突き刺し、次いで、かねて強い反感を抱いていたA子の実母のB子が騒ぎを聞きつけ同所付近に来て「警察を呼べ。」などと叫び出すと、同女を追いかけて廊下に出たものの、A子が玄関近くの電話台で電話を掛けようとしているのを見て、同女のもとに駆け寄り、同女の脇腹付近を突き刺し、更にこれを制止しようとしたその長女のE子の腹部を一回突き刺し、その後またもやA子の上半身を突き刺し、そこへB子が近づくと、「警察に訴えやがって。」などと言いながら、同女を廊下奥に追い詰めた上、同女の腹部を一回突き刺し、Cが立ち向かって来ると、その腹部を一回突き刺し、同人が転倒すると更にその臀部を一回突き刺したこと、右五名の負った胸部、腹部の各創傷の程度は、原判決が事実認定の補足説明の項で詳細に認定説示するとおり、死亡したA子、B子両名のそれも含めて、いずれも重傷であり、右各創傷は深いものであったり或いは長大なものであったりして、被告人が、A子のみならず、その余の四名の身体の枢要部に対し前記のとおり鋭利な柳刃包丁で手加減することなく力任せに刺突行為を行っていることが認められ、このような凶器の種類、性状や加害行為の態様、被害者の負った創傷の部位、程度のほか、動機の面でも、その余の四名に対する各犯行は、A子に対する強固な殺意に基づき、同女への憎悪の余り、右殺害を邪魔し騒ぎ立てなどする者も容赦はしないという激情に駆られたものであることが右各証拠上明らかであるので、その余の四名に対しては、B子を除き殊更怨恨などのないことはこれらの者に対する殺意を認定する上で何らの妨げとはならない。この動機等の点を更に若干敷衍すると、前記各証拠によれば、被告人は、恋慕し一旦は結婚話まで出ていたA子から裏切られたとする怨恨の情は極めて深いながらも、折りあらば同女とよりを戻そうとする想いを断ち切れずにいたこと、本件当夜、実家に行く前、柳刃包干を携えて、同女方に赴いた際にも、被告人としては、望みは少ないものの、先ず、同女によりを戻してくれと頼み、万一それが受け入れられれば以前のように同女方に居座り、予想どおり拒絶されれば右包丁で同女を殺害しようと思っていたこと、被告人は、同女方裏手のガラス戸のガラスを割ってその居宅内を覗き見すると、室内は片付けられ無人となっているので、同女や子供達はB子の差し金で被告人を避け実家に身を寄せていると思い、A子らに図られたと逆上し、同女が実家に帰っている以上は、B子らも一緒に居てもはやA子とよりを戻す機会もなく、この上は実家に押し入って同女を殺害するほかはないと殺意を固めたこと、実家にはCやかねて強い反感を抱いていたB子のほか、A子の傍にはその子供らもいるので、これらの者から騒がれる等してA子殺害を妨害されることを予想しながら、あえて実家玄関ガラス戸のガラスを所携の金槌で叩き割って土足で押し入ったこと、そして、被告人は前記一階の居間等で、前記のとおり、A子だけでなく、その余の四名に対しても次々と容赦のない前記各刺突行為に及んだことが認められ、これらの事実からすると、被告人は、実家に押し入る際には、自分のA子殺害行為を邪魔し騒ぎ立てる者も殺害するほかないと思い、かつ、右侵入後、同女殺害に際し、その予想どおり、騒ぎ立て制止するなどしたその余の四名に対しても、いずれも殺意をもって柳刃包丁で前記各刺突行為に及んだことは明白であって、その旨の捜査段階の自白は十分信用できる。これに対し被告人は原審及び当審公判廷でその余の四名に対しては、ただ夢中で刺したものでその記憶も判然とせず殺意はなかった旨言うけれども措信できず、原判決のこの点の認定に所論のような事実の誤認はない。

なお所論は、E子の受傷は被告人の故意行為に基づくものであること自体疑いがあるなどといい、なるほど、同女自身、何時、実家のどの場所で刺されたのか記憶が判然としない点はあるが、関係各証拠によれば、同女の受傷は、臍の上の腹部正中線に沿い、長さ約一〇センチメートル、幅約三センチメートル、深さ約三センチメートルの腹直筋膜を切断等する長大な刺創であって、これが被告人の柳刃包丁を用いての刺突行為に因るものであること、被告人は、同女に対し格別怨恨を抱いてはいなかったものの、前述のように、A子必殺の決意のため、これを邪魔などする者も同様殺害することを辞さない意思でいたところ、既に一階居間で殺害したと思っていた同女が同室から廊下に出た上、電話台で電話を掛けようとしたのを見て、とどめを刺すため、同女の近くに駆け寄った際、E子がこれを制止しようとして被告人にしがみつこうとしたので、殺意をもって所携の柳刃包丁で同女の腹部を一回突いたことが明白で、被告人は捜査段階でその旨供述していたものであり、E子は被告人から深夜寝込みを襲われ、実母のA子らが次々に刺突されるなどされて気が動転したため、自分が何時、どこで、どのように刺されたか記憶していないものであるに過ぎないことは右各証拠上明らかであって、この点は何ら前記認定の妨げとなるものではない。

論旨は理由がない。

二  控訴趣意中、責任能力につき事実誤認及び訴訟手続の法令違反をいう主張について

所論は、要するに、被告人は本件犯行当時心神耗弱の状態にあったのに、これを否定した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があり、また、この点を明らかにするため原審弁護人が精神鑑定の請求をしたのに、これを却下した原審の措置は審理不尽で判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

しかしながら、原審で取調べた関係各証拠によると、被告人は小、中学校における学業成績は極めて悪く、読み書きも満足にできず、知能は低く、また、激情的、粗暴的性格の持主ではあるものの、中学校卒業後、長らく人並みの社会生活を送り、飲食店経営、ゲーム機のリース業、店舗の内装関係の仕事等では相当の手腕を見せるなど、知能、性格その他生来の面での精神異常は全く窺えず、更に、被告人は、本件犯行の前日夕方ころから深夜にかけて、新潟市内の飲食店数軒でビール、ウイスキー水割りを飲み、その量を合計するとある程度の量(この点についての被告人の供述には著しい変遷があり、その量を証拠上確定することは因難である。)に及ぶことは認められるけれども、右飲酒は長時間しかも小刻みに分けて飲んだものであること、本件犯行直前に被告人と接触しその行動等を目撃した被告人の知人らやタクシーの運転手は、一様に、被告人は酩酊しているようには見えなかったと供述していること、被告人は本件犯行自体だけではなく、その前後の経過、言動等の詳細までをよく記憶し供述していること、被告人が本件各犯行に及ぶ動機等は前述のとおりであって十分了解できるほか、被告人は、柳刃包丁以外に、A子方の戸を割るなどのための金槌まで携え、動き易いような上着に着替えた上A子方に向かっていること、同女方でガラス戸のガラスを割ってその無人を知り、実家の玄関に向かう際、前記割った時の物音で近所の者が外に出て来ることをおそれ、暫く実家敷地内の物置小屋の陰に隠れて様子を窺い、誰も出て来る気配のないことを確認した後、実家に押し入っており、本件各犯行は綿密とはいえないものの、ある程度の計画性が認められること、所論指摘の石油ストーブの灯油をかぶり点火しようなどとした行動も、後述のように、被告人は当初は犯行後自殺することも考えていたというのであり、また、殺害行為直後の興奮からすると、これらを目して異常な行動とはいえず、このような諸事情を総合すると、本件においては、所論指摘の被告人の知能、性格、不眠状態、飲酒酩酊等による心神耗弱の疑いを入れる余地はないのであって、原審が所論の精神鑑定申請を却下した措置に審理不尽等訴訟手続の法令違反はなく、被告人が本件各犯行当時是非善悪を判断しこれに従って行動する能力を著しく減退していなかったことは明らかであり、原判決がこの点につき弁護人の主張に対する判断の項で説示するところも正当として是認できる。

なお、当審は、本件事案の重大性にかんがみ、慎重の上にも慎重を期し、被告人につきその性格特徴、精神状態等の鑑定をしたが、鑑定人松下昌雄作成の鑑定書及び同人の当審における証言によると、被告人にはいわゆる内因性精神病を推測させるような病的体験や状況などはなく、その知能は「普通知の下」から「境界知」の範囲内にあり、性格は、執念深く粘着性で、興奮し易く易怒的であり、抑制力が弱く衝動的に行動しがちで爆発性もあり、自己中心的であるなどするものであるが、これらの諸点は本件犯行当時の被告人の責任能力に影響を及ぼすものとは認められない。

もっとも、同鑑定人は、被告人は本件犯行当時大量の飲酒のため複雑酩酊の状態にあったとするけれども、鑑定の際の飲酒テストでは、普通酩酊であるとの結果が出ており、同鑑定人が複雑酩酊とする根拠は、(1)同鑑定人が、被告人に問診したところによると、被告人は犯行前の一月二日ごろから連続して多くの店で大量に飲酒したと述べたこと、(2)被告人が本件以前に書いた遺書めいた手記と鑑定時に同鑑定人に送って来た被告人の手紙を比べると、前者の字体及び文章は後者のそれらに比較して著しく劣っているので、右手記を書いた当時は被告人は深い酩酊状態にあったと認められることであるところ、右(1)の点は、もっぱら同鑑定人が被告人に問診した結果を根拠とする(同鑑定人は当審公判廷で記録は参酌しなかったと述べている。)ものであるが、飲酒についての被告人の供述には前述のとおり変遷があり、捜査段階、原審公判廷、当審公判廷さらに同鑑定人の問診と機会を追うごとに多量になり強い酩酊状態にあったような供述をしているが、前記のとおり、一月三日夕方からの飲酒量を合計すればある程度の量に及ぶことは認められるものの、鑑定人が判断の前提としたような大量の飲酒をしたとは到底認められず、その酩酊状態も前認定のとおり目撃者らが一様に酩酊しているようには見えなかったと供述する程度であり、しかも被告人は一月二日夜帰宅して睡眠をとり、翌三日本件犯行に使用した柳刃包丁を買い求め、同夜本件犯行を決行するつもりであったので、夕方からかねて世話になった知合いの飲食店等を順次回ってその際飲酒したというものであって、同鑑定人が判断の前提としたように一月二日から連続して飲酒していたわけではなく、また酒に溺れて分別もなく飲み回ったわけのものでもないから、同鑑定人の判断はその前提において失当であり、また(2)の点は、前記手記は、一月二日に作成されたものであることは関係証拠上明らかであって、これは一月三日の飲酒前のものであるから、これを根拠に被告人の犯行時の酩酊度を推認することができないばかりか、被告人は、本件犯行当時までは読み書きが満足にできず、書類の作成等はすべて他人に頼み代書して貰っていたことが関係証拠上明白なのであるから、当時の手記とその後数年経過し勾留中に読み書きもして相当の向上をした鑑定時の被告人の手紙との巧拙等を比較して被告人の酩酊度を測定することは失当といわなければならない。

さらに同鑑定人は、当審公判廷では、被告人は本件犯行当時飲酒酩酊のため複雑酩酊に陥り心神耗弱の状態にあったと述べるが、複雑酩酊に陥ったとする点自体疑問であることは前記のとおりであるのみならず、当時の判断能力等については、同鑑定人は一貫して、当時被告人は、自己の行為の是非善悪を正しく認識し、その認識に従って自己の行為を制禦する能力は、軽度に減弱していたにすぎないというのであるから、これをもって法律上心神耗弱の状態にあったと認めるべきものでないことは明らかである。

論旨は理由がない。

三  控訴趣意中、憲法違反の主張について

所論は、要するに、死刑は憲法三六条にいう「残虐な刑罰」に当たり、本件につき被告人に死刑を科することは、憲法三六条に違反するというのである。

しかしながら、死刑を定めた刑法一九九条の規定が憲法三六条に違反するものでないことは最高裁判所の判例(昭和二二年(れ)第一一九号同二三年三月一二日大法廷判決・刑集二巻三号一九一頁)とするところであり、当裁判所も同様に解するので、その法定刑の範囲で被告人に死刑を科した原判決には所論のような誤りはない。

論旨は理由がない。

四  控訴趣意中、量刑不当の主張について

所論は、要するに、原判決は、被告人を死刑に処したが、A子と被告人が互いに好意を寄せ結婚話まで交わしていた愛情関係、この二人を別れさせたB子らA子の親族の強い妨害やその依頼による警察の不当な介入、本件の本質が被告人においてA子を殺害した後自殺するといういわゆる無理心中の事件であることなど、被告人に有利な諸般の情状を看過したもので、その量刑は重きに失し不当である、というのである。

そこで、原審記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調の結果をも合わせて検討する。

(一)  先ず、被告人の本件各犯行に至る経緯、動機、犯行態様等は、おおむね原判決が認定しているとおりであって、その概要は次のとおりである。すなわち、被告人(昭和二〇年三月一一日生、当時四一歳)は、昭和六一年一〇月ころ、新潟市内にスナック「甲野」を開店したが、そのころホステスとして雇い入れた離婚歴のあるA子(当時三九歳)とすぐに情交関係を持ち、離婚も数回あり女性遍歴が激しいものの、折からの独り身で、たちまち同女との結婚を望むようになり、同女には前夫との間の子供であるE子(当時一四歳)、D(当時一三歳)、F(当時六歳)がおり、実母B子(当時七一歳)ら親族の賛同が得られず、早過ぎるなどとしてA子が渋っていたのに、同年一二月三日ころには、早々と実家の近くにあるA子方に泊り込み、同月六日ころには自分の荷物も運び入れて同棲するようになったものの、右子供達からは嫌われ、B子ら親族からはその結婚を反対されたばかりか、被告人は、A子やその親族らに粗暴な言動を繰り返し、更には同女に乱暴して頸部捻挫兼両下腿及び手背挫傷等の傷害を負わせるなどしたため、すぐに、同女からも怖がられて秘かに愛想を尽かされてしまい、警察に右被害を申告されて同月一一日に逮捕され、その後勾留もされたため、同女を恨むとともに、右申告はB子の差し金によるものと考え、同女に対しても腹を立てた。しかし、被告人は、やはりA子に対する未練を断ち切れずいずれ同女とよりを戻そうと思い、また、かねて自己の間借りの部屋を同年末で引き払うと家主側に約束しており、同女との遊興に耽るなどして前記スナック経営もおろそかにしたためその経営も破綻に瀕し、持ち金も乏しく、他に自分の居場所も無かったところから、同月二五日在庁略式命令により罰金を支払って釈放される際、担当捜査官の説得に応じて同女と別れると言いながら、被告人との縁を切りたがっている同女に正月の間だけ住まわせて欲しいと頼み、同女の了承を得て同女方に入り込んだところ、翌二六日その滞在をB子に知られ、同女ら親族からの依頼に応じて、傷害事件などの再度の発生を危惧した警察官が仲介に入るに及んで、再び、A子との離別を約束しながら、内心折りあらば同女方に戻りたいと思い、同女に「必ず連絡をよこせ。」と言い置いて同女方を出、知人宅に一泊した後前記間借りの部屋に戻ったものの、正月も近いのに、既に料金不払いのためガスは止められ電気も間もなく停めるという通知も来ていて惨めに感じ、かつ、待ちわびていたA子からの連絡もないことから、同女に対する憤激の情が次第に嵩じたが、依然未練も断ち切れず、同月三一日午後には、同女の歓心を買って同女方に泊り込もうとしてお節料理セットを手土産とする一方、同女がこれを拒絶して警察に訴え出るようなことがあればいっそ同女を殺害して自殺しようかとの思いもあって、登山ナイフを携行してA子方付近に赴いたが、ためらいを覚えて引き返し、翌六二年の元旦を前記自室で迎えた。ところが、元旦は飲食店も営業しておらず、前記のとおりガスも止められていて自炊もできず、このような窮状に陥ったのも警察に訴えるなどした同女とB子のせいであるとして憎しみを一層募らせるとともに、A子によりを戻す気がないことをようやく悟り、この上は同女を殺害しようと考え、その決行は、三が日を避け正月明けにすることと決め、同年一月二日には同女に対する綿々とした愛憎の葛藤の心情、同女を殺害して自殺すること、これまで世話になった人々に対する謝辞等を内容とする遺書めいた手記を書き、同月三日昼前ころ、新潟市内の金物店で柳刃包丁を購入し、同日午後から世話になった飲食店数軒を回るなどして時間を過ごした。翌四日午前零時三〇分過ぎころ、自室に戻って、動き易い上着に着替え、柳刃包丁のほか同女方の戸を割るなどするための金槌を隠し持って、タクシーで同女方に向かい、A子方付近の路上でタクシーを降り徒歩で同女方に行ったが、そのころの気持は、望みは少ないものの、先ず、同女を脅してでもよりを戻してくれと頼み、万一それが受入れられれば同女方に居座り、予想どおり拒絶されれば右包丁で同女を殺害しようというものであった。同女方に着き、その裏手のガラス戸のガラスを前記金槌で割って内部を見たところ、A子は同六一年一二月二六日被告人が同女方を出た直後、被告人の報復をおそれて子供達とともに実家に身を寄せていて誰も居なかったので、これはB子の差し金によるものであり、またA子らに図られたものと逆上し、同女が実家に帰っている以上はB子らも一緒に居て、もはやA子とよりを戻すことはできず、この上は実家に押し入って同女を殺害するほかはないと殺意を固め、実家にはCやB子のほか、A子の傍にはその子供らも居るので、これらの者から騒がれる等して同女殺害を妨害されることを予想し、その時はこれらの者も殺害するのもやむを得ないと考え、直ちに近くの実家に向かい、その玄関のガラス戸を金槌で叩き割り、土足で実家に押し入り、同六二年一月四日午前一時前ころ、同所において、前述のとおり、いずれも殺意をもって柳刃包丁を用い、同女に対しては数回続けざまにその胸部及び腹部等を、Dに対しては一回その腹部を、E子に対しては一回その腹部を、B子に対しては一回その腹部を、Cに対しては一回宛その腹部と臀部をそれぞれ突き刺し、よって、そのころ、同所で、A子をして胸部の刺創等に基づく心臓等の損傷による失血死を、B子をして腹部刺創による腹部大動脈の損傷による失血死をさせ、Dに加療四七日間を要する腹部切刺創の、E子に加療七四日間を要する腹部刺創の、Cに加療四〇日間を要する上腹部刺創等の各傷害を負わせたにとどまり、いずれもその殺害の目的を遂げなかった。以上のとおりである。

(二)  そして、被告人は、正月三か日明けとはいえ、一月四日しかも午前一時前ころという深夜に、粗暴な被告人の報復をおそれて実家に身を寄せていたA子の必殺を期し、寝静まっている実家の玄関のガラス戸を所携の金槌で叩き割って土足で押し入り、一階の居間で幼いF子も含む前記子供三人と共に就寝していて物音により上半身を起こした無抵抗のA子に対し、一瞬の間に、その胸部等を柳刃包丁でいわば滅多突きし、寝起き姿のその余の四名に対しても、邪魔し騒ぎ立てする者は容赦しないとして、ためらうこともなく、いずれも確定的殺意をもって、その腹部等に次々と柳刃包丁を突き刺し、A子とB子の二名をして無残な最期を遂げさせ、ことにA子に対する殺害行為は、前記滅多突きされた同女が救いを求めて廊下で電話しようとするのを見てその傍に駆け寄り、とどめを刺すため、柳刃包丁で同女の脇腹や上半身を突き刺すという執拗で凄惨なものであり、また、未遂に終わった他の三名のうち、DとE子は中学一年生と三年生の子供であり、これら子供の命さえも顧慮しない被告人の非人道ぶりには恐るべきものがあり、また、殺害されたA子及びB子の無念さや他の三名の受けた精神的、肉体的苦痛の甚大なことは、原判決が量刑事由の項で詳細に説示するとおりであって、本件犯行の罪質及び結果の重大性、態様の悪質、残虐さは多言を要しない。更に、本件犯行に至る経緯等をみても、被告人とA子との当初の親密な間柄が破綻し、被告人が前記のような窮迫した状態に陥った末、本件犯行に及んだのは、自己中心的で抑制が利かず粗暴であるなどの被告人の性格、所業等その非に負うところ極めて大であり、A子は、前夫と離婚して間がなかったことから、当然のことながら、子供達やB子ら親族のことを考え、A子方での被告人との同棲に難色を示し、結婚についても積極的ではなかったのに、俗に惚れっぽい被告人が、同女に対してたちまちにして恋慕、執心してしまい、同女の歓心を買うなどして同女との情事に耽り開店したばかりのスナックの営業不振を招き、同女が右スナックでホステスとして客と親しげに会話するのを見ても嫉妬して刃物を同女に突きつけるなどし、果ては強引に同女方に泊り込み、B子からこれを見咎められると、同女とも激しい口論をし、同女ら親族の反対を承知しながら、子供達の思いも顧慮しないまま、その後直ぐに荷物をA子方に運び込んで同女方で同棲を始め、B子らから反対されても自己本位に振る舞うばかりか、同女ら親族に粗暴な言動を繰り返し、A子に対しても暴行を働き怪我を負わせるなどしたため、同女から畏怖されるなどして愛想を尽かされ、原判示のように二度にわたって警察へ届け出られ、放置するにおいてはまたもや傷害事件でも起きるものと危惧した警察が調整に及ぶのも何ら不当ではなく、警察が説得すると、別れると言いながら、執拗に同女とよりを戻そうとするなどし、それが叶わないからといって、同女のみならずその余の四名まで巻き添えにした被告人に対しては、極めて厳しい非難が加えられるのは当然というべきである。以上のほか、亡くなった被害者二名の遺族らの悲嘆は察するに余りあるものがあること、右遺族らが被告人に対し極刑を望んでいること、本件が社会一般に与えた影響も極めて大であること、被告人には昭和四〇年九月から同六一年一二月までの間に、窃盗、公文書偽造、傷害等の各種の罪により、数多くの懲役刑や罰金刑に処せられた前科がある上、これまでの女性関係を含めての生活態度に甚だしい乱脈さが認められることなどを考慮すると、原判決も説示するとおり、A子にも被告人の要求に合わせようとする言動をとっていたと思われる点があること、B子についても被告人に対し感情を剥きだしにするなど対応に若干批判されるべき点もなくはなかったこと、被告人の知能が低く、成育環境に恵まれなかったこと、被告人も本件各犯行を反省する態度を示していたことなど被告人のため酌むべき諸情状を考えても、被告人に死刑をもって臨んだ原判決の量刑もあながち首肯し得ないものではない。

(三)  しかしながら、いうまでもなく、死刑が人命の剥奪を内容とする最も冷厳な刑罰であり、真にやむを得ない場合にのみ科すことのできる窮極の刑であることを考えると、その適用は特に慎重でなければならず、その量刑判断に当たっては、被告人のため酌量すべき有利な事情がないかを十二分に検討すべきであり、この観点から今一度被告人の情状についてみると、なお、次の諸事情を指摘することができる。先ず、原判決は、量刑の事由の項で、被告人がA子に執着し、同女に対し同棲及び結婚を迫った心情につき、「本件犯行の直接の原因は、自ら蓄財する能力を有しない被告人が、自分と肉体関係を持つに至ったA子が新築の家屋に居住しており、将来はアパートも遺産相続できることを知ったことなどから、同女と一緒になろうと企て、同女方に入り込んだもの」とし、被告人のA子に対する恋慕の情や中年の男女間の微妙な愛欲関係に触れる点がないことからすると、被告人がA子に執着したのは、主として同女の財産目当てのためと見ているものと思われる。なるほど、関係各証拠によれば、被告人は、A子が新築の家に住んでいることを知り、これを他人に自慢していたこと、同女の実家が貸家等を有することも知っていたこと、実家の者と口論した際同女の相続分を口走ったことがあることなどが認められ、これまで金銭的にも幾多の苦労をしてきた被告人が同女の受けるべき遺産等を当てにした面も認められるけれども、他方、本件当時、同女は、育ち盛りの子供三人を抱えて離婚し、生活に窮して昼は生命保険の外交員をし、夜は被告人経営のスナックにホステスとして稼働していた女性であること、被告人も同女を雇い入れると、直ぐ、その相続財産など知る前に、同女と情交関係を結んでいるが、同女も外交員としての勤務時間中にも被告人方居室を訪れて被告人の求めに応じており、これまでの女性遍歴にはなかった同女の優しさ、気配りの良さに惹かれ、たちまちにして同女との関係にのめり込み、開店したばかりの右スナック経営もおろそかにし、その恋慕の情はつのる一方で、同店でホステスとしての仕事上、同女が客にサービスするのさえ嫉妬していたことも関係各証拠上明らかであり、更に、被告人の過去の女性遍歴を見ても、原判決も認定するように、被告人は主として自己の経営する飲食店の女子従業員と手軽に関係を結んでは結婚するなどしていたものであり、このような諸点を考えると、被告人がA子に強く執着したのは、何よりも、同女に対する恋慕の情が強かったためであると見るのが自然であり、これを主として財産目当てのものであるかのようにいうのはいささか被告人にとって酷に過ぎるというほかはない。次に、被告人は、既述のように、昭和六二年の元旦にわびしい一日を過ごし、そのころからA子に対する殺意を固めはじめ、同年一月二日に前記遺書めいた手記を書き、同月三日昼前には凶器とするため柳刃包丁を購入し、翌四日午前零時三〇分過ぎころ、動き易い上着に着替え、柳刃包丁のほか同女方に押し入るための金槌までを隠し持って、同女方に向かった点などある程度の計画性は認められるものの、本件は、同女に対する強い未練とそのための憎悪による感情の赴くままに犯行に及んでしまったもので、十分な準備をし計画をした通常の計画的犯行とは相当の差異があり、また、実家に押し入ってB子やDらにまで危害を及ぼすに至ったのは、当初から被告人の意図したところではなく、前述のとおり、予想に反して、A子らが実家に身を寄せていたからであり、また、そのためよりを戻す機会を全く閉ざされた結果であり、本件は当初からいわゆる一家皆殺しを企図したものではない。更に、被告人は、犯行の二日前に記載した前記の遺書めいた手記中に、A子を殺害したのち自殺する旨書き残し、本件各犯行直後、現場で、石油ストーブを逆さにして灯油を上半身からかぶった上、ライターで点火しようとしたが果たさず、現場から逃走後も自殺を図った旨捜査段階から一貫して供述しており、結果において、被告人は自傷行為さえ行ってはいないものの、事に臨んでの人の生に対する執着心の強さや被告人の感情の起伏の大きい性格等を考えると、被告人が初めから狂言自殺を目論んでいたとまでは断定できない。そして、被告人は、当審における勾留中も、亡くなった被害者二名に対しては毎日その冥福を祈っている上、その他の被害者らに対する深い謝罪の気持も持ち続けていること、被告人の前記性格的偏奇などの矯正の困難さは言うまでもないが、将来仮に仮出獄の機会が与えられるとしても、その際には現在四六歳の被告人も相当の高齢に達するのであり、長期間の服役によりその性格もそれなりの改善がなされ、被告人の粗暴癖等も本件犯行当時のそれと同一のままであるとは考えられない。

(四)  以上(三)において指摘した事情を前記(一)(二)の諸事情に加え、近時における死刑の科刑状況を参酌して再考すると、本件においては、被告人に対し極刑を科するには躊躇せざるを得ないものがあり、この際、被告人を無期懲役に処し、本件犯行のいかに罪深いかを十分自覚させつつ、終生、亡くなった被害者らの冥福を祈らせ、真摯な気持で長らくその贖罪をさせるのが相当と思科される。

論旨は理由がある。

そこで、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い当裁判所において更に次のとおり判決する。

原判決の認定した事実に法令を適用すると、被告人の原判示各所為中、A子及びB子に対する各殺人の点はいずれも刑法一九九条に、D、E、Cに対する各殺人未遂の点はいずれも同法二〇三条、一九九条にそれぞれ該当するが、所定刑中、A子に対する殺人罪については無期懲役刑を、B子他三名に対する前記各罪についてはいずれも有期懲役刑をそれぞれ選択し、検察事務官作成の前科調書によれば、被告人は昭和五七年三月一一日新潟地方裁判所で傷害罪によれ懲役一〇月に処せられ、同年一二月一一日右刑の執行を受け終わったものであることが認められるので、B子他三名に対する前記各罪につき同法五六条一項、五七条により同法一四条の制限内でそれぞれ再犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪の関係にあるが、同法四六条二項本文により他の刑を科さず、被告人を無期懲役に処し、押収してある柳刃包丁一丁(当庁昭和六三年押第一六二号の1)は原判示各犯行の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項を適用してこれを没収し、原審及び当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 近藤和義 裁判官 反町宏 栗原宏武)

〈以下省略〉

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